高齢者の肺炎が増えています。この肺炎は主に嚥下機能の低下による「誤嚥」(ごえん)により引き起こされます。
口から入れた食物は通常であれば食道を通って胃に至りますが、嚥下機能が低下している場合、よく咀嚼されないままその一部が気管に入りこんでしまいます。これが誤嚥です。
そこから細菌が増殖。これがきっかけとなって肺炎を引き起こすのです。(参照「肺炎球菌ワクチンで安心は禁物!高齢者の肺炎を防ぐ3つの方法とは」医師:長谷川嘉哉先生)
誤嚥性肺炎は高齢者の死因第3位になっています。嚥下機能の低下は、それほど重大な問題なのです。
この誤嚥性肺炎を防ぐために長年研究を続けらている大学の先生がいます。新潟医療福祉大学で医学博士の西尾正輝教授です。西尾先生は言語聴覚士としても積極的に活動され、口腔のアプローチから嚥下機能の改善を図られてきました。
その取り組みの中で、近年存在を知ったのがストレッチポール®です(論文では、特定商品の宣伝と捉えられる恐れがあり、ストレッチ用ポールと記述)。このストレッチポール®を使用した嚥下機能改善の方法をお伝えするセミナーがこのほど開催されましたので当ブログでご紹介します。
この記事は石塚利光が監修しました。 日本コアコンディショニング協会コアコンディショニングリサーチディレクター/東京大学女子バレーボール部トレーナー/米国公認アスレティックトレーナー (BOC-ATC) /日本トレーニング指導者協会・認定上級トレーニング指導者(JATI-AATI)/ペンシルベニア州立カルフォルニア大学卒業/前・福岡大学助教/訳書「アスレティックボディ・イン・バランス」(Gray Cook著) |
目次
1.西尾正輝先生とは
まず今回のセミナーの講師を勤められた西尾先生をご紹介します。
西尾正輝(にしお まさき)
新潟医療福祉大学 医療技術学部 言語聴覚学科 教授
日本言語聴覚士協会 審議員 (元理事)/日本摂食・嚥下リハビリテーション学会 評議員/日本音声言語医学会 評議員/日本ディサースリア臨床研究会 会長
【著書】
摂食嚥下障害の患者さんと家族のために 第1巻 (1)
スピーチ・リハビリテーション (1)
ディサースリアの基礎と臨床 (第1巻)
新しい介護食・嚥下食レシピ集―食を楽しんで栄養を取り入れるために(共著)など
2.さまざまな嚥下機能アプローチ方法
食べ物をよく噛んで飲み込み、それが正しく食道を通って胃に至るようにする。この嚥下機能を改善するには様々な方法があります。
・筋力運動、可動域改善運動(間接運動)
・飲食物を用いた正しい動作習得運動(直接運動)
・代償法(姿勢、食物形態、食具、環境)
・口腔ケア
・栄養管理
西尾先生が提唱する「筋力増強運動」には以下のものが含まれます。
・頸部、肩甲帯、胸腰部の運動
・表情筋、舌筋、咽頭筋、舌骨上筋、呼吸筋の運動 など。
3.下顎の位置に着目
「なぜ老化とともに嚥下機能が落ちるのか」。これまでは脳血管障害や神経筋疾患によるものが多かったそうです。しかしそのような疾患によらなくても、年を経るとともに嚥下機能が衰えていき、誤嚥から肺炎を引き起こす方が少なくありません。
先生は、多くの臨床経験のなかで下顎の位置に注目しました。高齢者は、下顎が前に出、同時に上にあがることが多い傾向にあることを発見したのです。
4.嚥下障害には姿勢の問題があった
このような状態になる高齢者の姿勢にはある種の特徴がありました。
それは、
・骨盤の後傾
・老人性の後弯症や猫背
・胸椎の後弯増強
・胸椎の柔軟性欠如
・頭部前方偏位 などです。
その結果、部位としては末端である顎の位置も変化してしまうのでした。
前と上に出た下顎を元に戻すには、下げたり引き込んだりするトレーニングが代表的です。しかし根本的に改善するためには全身の姿勢を修正する必要があると、西尾先生は考えたのです。
5.嚥下機能を予防改善するエクササイズ「PEPIS」とは
全身の姿勢を改善する方法を調べていた西尾先生は、ストレッチポール®とそのエクササイズに出会いました。基本的な運動「ベーシックセブン」や、自身が考えるその他の運動をまずはご自身で体験。これで手応えを感じた先生はその後体系化され「PEPIS(Pole Exercise Program for Improved Swallowing)」というエクササイズパッケージにまとめられたのです。
5−1.PEPISの目的
もちろん嚥下機能の低下にアプローチすることですが、細かく分けると以下のようになります。
・全身の柔軟性向上
・嚥下に重要な脊椎の姿勢(脊椎アライメント)の維持、改善
・胸郭の可動域拡大とそれに伴う呼吸機能の維持改善
・舌骨周辺にある筋骨系の機能維持改善
先生は「PEPISは予防的アプローチであると同時に治療的アプローチでもある」と語っています。つまり将来の嚥下機能低下に備えるだけではなく、すでに嚥下機能が低下している方にも改善が期待できる方法というのです。
5−2.PEPISの内容
主にストレッチポール®を用いたエクササイズを行います。患者さんの状態をよく検討し、必要があればクッションやタオル、マットレス、毛布を敷いたうえで行います。頭部の下にクッションを置いて使うこともあります。その場合、ストッレッチポール®は首の下からになります。
そのうえで以下のエクササイズを行なっています。
※嚥下に障害がある方の場合、一人でエクササイズができないことがあります。当日のセミナーではこのような方へサポートして行なっていただく方法をお伝えしましたが、この記事では割愛させていただきます。あくまでも参考としてご覧ください。
1・深呼吸
ストレッチポール®上で深呼吸をします。このことで胸郭の可動性が向上します。手のひらは床に向けて置いた方が安心感が生まれやすいです。
2・胸郭エクササイズ【胸郭の左右スライド】
ストレッチポール®の上で、胸郭を左右にスライドします。何度か繰り返します。椎間関節の回旋動作を引き出すことができます。
3・胸郭エクササイズ【胸郭の回旋ストレッチ】
片方の手で、別の手を握り、ヒジを床につけるように倒していきます。下半身は反対方向に倒します。バランスを取り、さらにひねりの効果を高めるためです。
4・肩甲帯の屈曲【伸展と胸郭の可動域拡大運動A】
天井方向に伸ばした手を組み、肩から腕を伸ばしたり落としたりします。ヒジは曲げません。
5・肩甲帯の屈曲【伸展と胸郭の可動域拡大運動B】
手を組んだ状態から腕を左右に大きく広げます。
6・肩関節の屈曲【伸展と胸郭の可動域拡大運動】
腰の位置に置いた手を、天井方向を通りながら、頭上まで伸ばします。何度か繰り返します。
7・肩関節の外転
腕を床と平行に左右に広げるようにして頭上にまで送ります。
8・チンインエクササイズ
できるだけアゴを前方に伸ばします。そこから一生懸命アゴを引きつけてキープします。
9・頭部挙上運動【改変シャキア訓練】
アゴを引いたまま頭部を持ち上げ、おへそ方向を覗くようします。写真の位置くらいまでで戻し、何度か繰り返します。
補足:円背などでストレッチポール®上で基本姿勢をとるのが困難な方の場合
以下のようにタオルやクッションを用いて頭部をサポートします。
6.セミナーの模様
セミナーでは、まず午前中にアスレティックトレーナーの石塚さんがストレッチポール®の基本的エクササイズ「ベーシックセブン」をお伝えしました。
これはストレッチポール®についての基礎知識と、それを利用した運動がもたらす効果について知って置いてもらうためです。参加者(13名)の方には初めてストレッチポール®を体験した方も多く、体が緩み、床に沈み込むような感覚に驚いていました。
このセミナーでは、実際に他の方に指導する際の技術や声がけなどを習得していただきました。最初は戸惑いもあったようでしたが、どんどんストレッチポールの扱いや指導にも慣れていく様子がみてとれました。
昼食をはさんだ午後には、西尾正輝先生によるPEPISの講義が行われました。この講習では、一般の方とは異なる、高齢者の方や嚥下機能に障害がある方のために行うときのサポートの方法もお伝えいただきました。
嚥下機能の予防・改善に役立つ方法として、今日から現場で使える実技を中心に進めていただき、参加者の皆さんが、ワクワクした楽しい時間を過ごせたようでした。
7.まとめ
このPEPISは、西尾先生が今後もいっそう普及に努められていくそうです。言語聴覚士の方や、介護関係、また介護者の方のご家族にこのような取り組みが広がっていくことが期待されます。参加者の方、西尾先生、誠にありがとうございました。
参考
嚥下をよくするポールエクササイズ(西尾正輝・医道の日本 2018.4)
言語聴覚士のための新しい姿勢・嚥下改善アプローチ PEPISを理解するためのストレッチポールの基礎の基礎(石塚利光・第4回ニホンディサースリア学術集会 スキルアップセミナー)